会社訪問禄『有限会社コウチヤ』編

RADIC盛本社長からバトンを受けまして、今回は私システムクリエイトの久保がおなじみのSIC(相模原産業創造センター)に入居する有限会社コウチヤの藤田社長をお訪ねしました。

会社訪問禄『有限会社コウチヤ』編写真

--早速ですがコウチヤさん。社名がレトロな雰囲気ですね。

「香川県にある実家の屋号が『河内屋』だったのでその名前を引き継いでいます。明治時代はうどん屋で、その後、豆腐や履き物の製造販売を手がけていたのですが、自分も含め兄弟は全員県外へ就職してしまったため父の代で営業を終了しました。」

その後、藤田社長が起業された際に屋号を引き継いだとのこと。

--うどん屋さんとIT企業ではえらい違いですね。
そもそも起業された経緯など伺って宜しいですか?

「通っていた工業高校では電子科を専攻していたのですが、授業の内容は当時まだ正式な科として少なかった『情報工学』が主体だったため、そこでコンピュータ技術、プログラミングの基礎を習得しました。その後、某大手電機メーカーに就職しメインフレームの営業を担当しましたが、入社後も数年間、大学の研究室に企業研究生として派遣され、情報処理学会で並列コンピューティングに関する論文発表をさせて戴くなどの経験ができました。これにはすごく感謝しています。」

一方で趣味と実益を兼ねたモバイルコンピューティングの研究に入れ込み、ついには超有名PC通信サービスの携帯端末フォーラムでシスオペを担当するまでになり、情報処理系の著名な書籍にも記事を書いていたそうです。当然会社でもPDAのような携帯端末のブレイクを見込んで事業提案もしたそうですが、なかなか思い通りには展開できなかったとか。

その頃には既に趣味が副業になり、やがて本業よりも情熱を注ぐようになり、ついに二足のわらじと決別して独立されたとのこと。

--シスオペってカリスマじゃないですか!まさかこんなところで逢おうとは・・・

「これ全部、当時の端末なんですよ」と藤田社長の指さした壁際には、沢山の段ボール箱が天井まで積み上げられていました。恐るべき台数であることは容易に想像が付く。当時発売されていた機種は全てあるのでは?

「独立してすぐの頃はそれなりに仕事もあったし、フリーのライター、フリーのWEBプログラマで充分成立していたのですが、元の同僚などから折角紹介を貰ってもフリーではなかなか契約を頂けない事も多く、それで法人化することを決意しました。」

--受託開発契約?

「そうです。会社を興した頃にはWEB開発が仕事の中心でした。初期はいわゆるWEBシステムの開発が多かったのですが、すぐに中小のホームページ製作の仕事が多くなりなりました。」

--弊社もそうですが、中小企業様向けのサービスは難しいですよね

「シンプルで訴求力のあるホームページを低価格で提供できるのもコウチヤのセールスポイントです。華美な装飾に惑わされない、本物志向のお客様には是非ご相談頂きたいです。」

--今後の事業展開など将来の展望をお聞かせ下さい

「特定業種向けのウェブサービスを考えています。投資効果がはっきり判るものになるので、ユーザー様にはご満足頂けると確信しております」

--楽しみです。本日はありがとうございました。

温厚で飄々とした風格の裏に、営業からシスオペまで歴任されたコミュニケーション能力の高さと、ライターとして多くの文章を執筆してきた多才ぶりを垣間見ることができ、尊敬の念を更に強くしたのでした。